カオサン友の会 報告

by  カオサン友の会会長

 

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 始動します。

 

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 何を書いたらいいものか……。
「旅と映画と音楽を同時に語る」ってことなので、取りあえず日本にいる間は観た映画聴いた音楽についてのかなり個人的な記録ノートにしますか。

 

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 DVDプレーヤを買ってしまった。
 取りあえず、「ピアノ・レッスン」「ロストハイウェイ」「ガタカ」を買う。
 ツタヤで「アルマゲドン」DVD をレンタル。

 

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 本日映画は1000円の日。
「アイズ・ワイド・シャット」を観た。
 感想は後程。

 

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 今日は「プリンス・オブ・エジプト」を観た。
 素直に感動した。ユダヤ系の多いハリウッドだからどうのとか、そんなことも考えてたけど、良心的でよく出来てて、単純に良い映画だと思った。
 やっぱりジマー節は健在で、かなりの円熟を見せた感じ。ミュージカルになるのかな、これも。
 この手の大掛かりなアニメって、ポストプロダクションの大部分が普通の映画の逆だから、これだけ丁寧なストーリー作りのものは本当に無駄なところが一つも無くて飽きさせない。
 で、逆な分声優は大変だろうなと思うのだが、今度のはここ数年のハリウッドの有名役者の声の吹き替えと随分違う印象を持った。何と言っても声を演じる役者の「顔」が観ていて浮かばない。これはすごいことだと思う。「アンツ」のWアレンやSスタローンのように元々その役者の持っていたイメージを使うのではなく、本当に劇中のキャラクターを演じてしまっている。SマーチンとMショートですら「そう思わないと」彼等であることを意識させない。威圧的な王Pスチュアートや美人じゃ無いSブロックなんてキャスティングがそもそも「声の演技」しか求めて無いことを物語っていると感じる。みんな上手い役者さんなんだなあ。その他の声優もめちゃ豪華!

 出エジプト記を大作アニメにするってのが素直に素晴らしいなと、しかも一流音楽と最新の特撮技術でとても現代的にしていることが嬉しくさえ感じた。語り継ぐことへの真剣さが観ていて気持ちよかった。考えてみればドリームワークスって「ポカホンタス」を作っちゃうようなディズニーの血が1/3入ってるもんなぁ。

 中学生の頃何故か劇場でセシル・B・デミルの「十戒」を観ていたことを思い出した。リバイバルしてたのだろうか。大きな違いは海を渡った後のシナイ山で十戒を受けるくだりを今回は全て省略してしまっていること。随分大胆な決断だけど、見せることに徹底していて非常に上手い構成だと思う。

「エピソード1」にしろ聖書の映画化にしろ、語るべきストーリーを語るて何だか純粋にいいことだなと感じた。

 聖書ってスペクタクル小説なのかも。

 

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 昨日は「タイタニック」をビデオで見直す。
 最近、「タイタニック」に関する特撮の専門書を読んでいて、ジェームス・キャメロンという異常な全体主義者の変態監督に感服していたところで、やっぱりこの映画はただものではないなと改めて思った。
『7分間にわたる1,200人以上の名前が記されたエンドクレジットから判断するならまさに大戦争である』 たしかにこれはコッポラの「地獄の黙示録」級のスペクタクル文芸映画だと思う。
 すごい。やっぱり半端じゃなくすごい。何がすごいかはこの本を読み終えてからまた書くつもりだけれど、以下、メモのように書いておく。
 まず、脚本段階で現在の舞台での老婆の想い出話にしたこと。最近では「プライベート・ライアン」がそうだったが、アメリカ人はこの手法を使うと傑作を作りやすい。つまりここで本当に描かれるのはディカプリオとの恋物語なんかではなく、そんな思いを海のように深く秘めて生きた彼女の『その後の人生』のほうであること。秀逸なラストでディカプリオによって変った彼女がその後『馬に乗る』ような活発な女になっていくことがベッドサイドの写真で語られる。「プライベート・ライアン」で帰還後の彼の人生が数人の命に代える程のものだったかということが、語られずに描かれたように。
 次に『仕切られた近い空間で同時的に起きるプロットの絡み合い』というキャメロンの十八番が非常に洗練された形でで展開すること。つまりタイタニックの各所でのドラマがパニックムーヴィでありながらラブストーリーという体裁にまとめあげられている。船底にいた人、船首にいた人、一等席の人、三等席の人、船長、設計者、避難出来た人、亡くなった人……といった一つに事故に対してのそれぞれ違ったシチュエーションのドラマを、主人公を狂言回しにすることで一本の話にまとめている。
 この各所での同時的なサスペンスというのは「アビス」で顕著(母船_潜水艇_探査艇_海溝)だったが、今回はその全箇所を主人公が走り抜けている。それと気付かせずに。

続きはまた今度。

 

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 今日は夏休み。
 朝から秘蔵スターウォーズトリロジーを3本続けざまにおさらい。
 夕方から海老名まで出かけて15回目の「エピソード1(以下TPM)」を観る。
 こうしてみると、「帝国の逆襲(ESB)」「ジェダイの復讐(ROJ)」にはTPMに繋がる伏線としての台詞が随分出てきていた。いや、反対で、TPMの時にこれらを上手く使ったのだろうが、ルーカスの中では「特別編」編集段階でかなりTPMを意識していたはずで、そう言う意味でのシリーズ復帰へのいいリハビリになっていたはずだ(その典型でこの編集でシーンの追加以外に削除もしているらしい!)。
 特に吃驚したのはESBでヨーダに修行を受けるルークは例の遺跡の中の『ダーク』に向かう直前、『寒い』と言っている。TPMでジェダイ評議会でアナキンも『寒い』と漏らし、それぞれヨーダの恐れについての台詞に続く。
『I got bad feeling about this(いやな予感がする)』という台詞もシリーズ通していろんなキャラが発する(C3-POまで!)。TPMではオープニングでオビワンが早速言う台詞だ。
 面白いのは「特別編」の3作だけでも明らかに特撮技術が進歩していて、ルーカスのシリーズ再開に向けてのテストになっていると思われること。タトゥーインの俯瞰ショットを比べれば、「スターウォーズ(ANH)」時とROJのラストでは雲泥の差がある。コルサントも含めて、街のイメージも再編集しながら固めていったようだ。
「特別編」公開時は作品の再編集ということに何かと叩かれてしまったが、アートとしては昔からよくあることのはず。それよりも『物語』を語ろうとするルーカスの意志のほうが強く正しいのではないか。
 それを語るための技術を16年もかけ自ら造り上げた作家としての執念はキューブリック亡き今他に求めようもないのではなかろうか。

 あらためてシリーズを見直しても、やっぱりESBが一番面白い。2002年のエピソード2が楽しみ!でもディカプリオのアナキンはやだな。

 

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 四日前になるけど、13日の金曜日にスプラッターを観に行った。「オフィスキラー」。監督のシンディ・シャーマンは写真を使った現代美術のアーチストで、僕の大好きな作家だ。20年程前のデビュー頃の作品がそもそも『映画のワンシーン』のような自分のスナップで、クラシックの肖像などに扮した後グロテスクな造形に傾いた人で、今ホラー映画を撮っても非常に納得のいく展開だ。
 映画の内容もキャリアウーマンの肖像、血、肉の腐食、色数の多い照明等、それまでの作品がスチールで、今回やっとフィルムが届いたという感じの『そのまま』な印象。なによりちゃんと起承転結のある『観れる映画』になっているのが嬉しかった。
 彼女は動く絵の中で、これまでの作品の中の『あるシチュエーション』をストーリーや会話によってより語りやすくなったのであろう。最近の写真作品が攻撃的で非説明的だったのは、こういう解り易い吐き出し口を用意していたからなのかも知れない。
 触り尽くした屍体を詰めたバッグを助手席に乗せて車を走らす厚化粧の女というラストシーンはこれまでの彼女の作品が実は非常に判り易いロジックで出来ていたんだという事を気付かせてくれる。頭悪そうな言い方だけど、『女の情念』みたいな。
 ……そんな理屈よりもっと単純に感覚的に造ってたのかも。
今までのような単独作業ではなくある程度の共同作業になってしまう映画制作で、自分の肖像を自分すら登場させずにもっと客観的に遊ばせることができるようになったのだ。
 そんなことができる女の人の作品はやっぱりとってもお洒落で上品でグラマラスになるんだなあ。スプラッターでも。

 

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 今日はおバカなレニー・ハーリンの『ディープ・ブルー』を観る。やっぱり期待通りの壮大な失敗作でホッとした。思えば『ダイ・ハード2』はブルース・ウィルスというコミカルな臭いを「出せてしまう」キャラクターあっての作品で、後はハーリンお得意の「冗長なスリル」「抑揚のない緊迫感」「とにかく爆発」がだらだら金かけて撮られ続けたのでした。
 そういう意味では前作『ロング・キス・グッドナイト』はなかなかの佳作でラストの爆発は『ダイ・ハード2』の「コクピット爆発と同時に脱出」に迫るおバカな爆発で、非常に爆発だった。今回も爆発だらけで爆発だった。芸術なのかも。
 で、水、ガラス、肉塊というのが今回の新ネタ爆発。その辺は充分楽しめました。
ただ、屍体のCG描写がなかなか良くてびっくり。それまで表情豊かでいきなりバクッと喰われた人間の身体の残骸がただの肉塊として漂うところが素晴らしかった。この「ありゃ〜喰われちゃった〜」感覚はバーホーベン、スピルバーグ、フィンチャーらが大作映画の中で試した手法で、おバカなハーリンは中盤堂々とすごい展開に使っちゃうのだ。このおバカ加減が素晴らしい。「まだ生きてるのに……」とか「うわ!足が痙攣してる!」とか、もう少し「タメ」がありゃスピルバーグになれるのにな。

 冗談がすごく下手で、でも一生懸命なんで人には嫌われない友達に久々会って来ました。って感じ。でも会えて本当に良かった。変ってなくて。

 

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 8月末のカオサン帰省後異常な仕事量に追われて遂に9月は一度の書き込みもしなかった……。

 再開します。のんびりと。

 実はそれ以来「マトリックス」を観ただけという信じがたい生活を送ってしまっている。これだから体調も崩す訳だ。ま、ビデオは観まくってたけど。念願の「フィラデルフィア」DVDも手に入れたし、キューブリックのBOXセットもゲット。「コンタクト」は10回くらい見返した。このへんの作品のことはあらためて書く。
 で、「マトリックス」。……うん、面白かった! こんなにその展開ににやつき『畜生! そうくるか!』とゾクゾクさせられ続けたのは久々だった。ただ、観てから2週間、まだ興奮が止まないのでもう一度観てから整理することにしよう。

 

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 最近気付いたこと。本等で知るならただの裏話なのだが、自分で気がついてしまって感動したこと。

 テレンス・マリックの『地獄の逃避行』を本当にひさしぶりに見直したら、『トゥルーロマンス』がマリックへのオマージュになっていたことに初めて気付いた。
 まず、そのストーリー。冴えない日常に嫌気のさした男女が出会って恋に落ち、ちょっとした出来心から殺人事件を起こしてしまい追っ手と日常からの逃避行を繰り広げる内に二人の犯行はどんどん大きくなっていく……。
 で、リドリー・スコットがその女二人版を『テルマ&ルイーズ』でやってて、ただこちらはラストの違いで『俺達に明日はない』の80年代版になってた。
ところがタランティーノ脚本による弟トニー・スコットの『トゥルーロマンス』は紛れもなくマリックなのだ! それもオープニングから!
 観れば簡単に気付くことなのだが。『地獄の逃避行』で最初からラストまでその美しい映像と悲しい展開に絶妙にからむマリンバのメロディ。とてもきれいな可愛らしいまでの木琴の音が映画の雰囲気と対照的で、それが物悲しさを増すのに絶大な効果を表していた。
 ……そう!その木琴が『トゥルーロマンス』のオープニング、ソニー・千葉の後、プレスリーがかき消えた瞬間から全編鳴り出していたではないか!そして女のモノローグ……。ハンス・ジマーによるメロディも、雰囲気だけ『地獄〜』のメロディによく似せてある。ああ、なぜ今まで気がつかなかったのか……。
 だとするとタランティーノ脚本はよくできていて、そのラストなんかいかにも80年代に、映画青年(ほとんどビデオの)が(レンタルビデオ屋のバイトの)映画マニアの主人公を逃避行に出させるのに相応しいわけだ。これが80年代の冴えないやつの夢想なのだ。

 そして90年代終り、マリックが20年ぶりの奇跡の復活を果たして完成させたあの美しい『シン・レッド・ライン』で響く荘厳なレクイエム、島の人々の歌う賛歌は、ハンス・ジマーの手によるものなのである!

 

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「ダンサー・イン・ザ・ダーク」
 カンヌでビョークが主演女優賞、作品は悲願のパルムドールをとったラース・フォン・トリアーの新作。
 これは何なんだろうと思う。何故こんな映画を撮ろうとしたのか。何を信じたらこんな映画を作り上げれるのか。
 ストーリーはショッキングな展開をするものの、それが感動を呼ぶようなものでは決してないし、言ってみれば非常に単純な話である。

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 アメリカの片田舎で、やがて失明する運命にあるチェコ移民のビョークが同じ病気を抱える息子の手術の為に工場で働き、内職に励む。貧乏な彼女の愉しみはアマチュアミュージカルの練習と、たまに仕事仲間(カトリーヌ・ドヌーブ)といくミュージカル映画。ドグマ69独特のドキュメンタリー風映像が時に、空想に耽るビョークのミュージカルシーンになる。
 と、中盤から突然猛烈に感情的な盛り上がりを見せ始める。だが、決して技巧的な展開ではないし、稚拙と言ってもいい程ストレートなプロット。

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 何のためにこんな映画を撮ったのか。何が言いたかったのか。それが観た人間に明確に与えられない。たぶん、明文化される主題なんて最初からなかったのだ。
 ただ、圧倒的な精神の高揚を迫る。強烈な緊張状態を強いられる。
 人間の「すざましい感情の高まり」を表現したかっただけ。そんなところだろう。
 ビョークが、もはや演じてるのではないのは誰の目にも明らか。その様は「憑依」しているようにしか見えない。いや、主人公セルマを作っていったのではなく、ビョークからセルマが出来上がったのだ。そしてそこから異様な、演技ともドキュメントとも付かない、人体実験のような光景が立ち上がるのである。
『ラストにセルマを待ち受ける運命を、あたかも「トゥルーマン・ショー」のように、ビョークを騙してたどらせました。それをビデオで記録しました。凄い生々しい映像ですよ』
 そんなフィルムにセルマの空想のミュージカルシーンを編集したのがこの映画である。
中盤からラストにむけての異常なテンションの高まり。何を信じたらこんなものが作れるのだろう。映画がいつも僕達に与えてくれるカタルシスを遥かに超えた、打ちのめされるような感覚。これが映画でいいだろうか。僕の知っていた映画とは随分遠いところにある。一般的な「映画体験」とはもう違っている。キアロスタミだって「映画」だった。
 何も言わずに、ただ物凄いエモーションだけを突き付ける。
 試写室が明るくなって、本当に立ち上がれなくなっている女性がいる。そんな映画。知恵熱が出そう。

 

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