絶対王制復活を画策したある陸軍将校は、元国防大臣ボウォーンデート王子を指導者として1933年10月22日に反乱事件を起こした。
反王室不敬者・反共産主義を掲げたこの王制復帰派最後の革命は、のちに総理大臣となるピブーン中佐を司令官とする政府軍にわずか1週間で鎮圧されたが、同時に首謀者連の国外逃亡と同時に17名の犠牲者も出した。 それを記念する慰霊碑が、バンコクの北、ラクシに建っている。
中央の塔にはその犠牲者たちの遺骨が納められおり、上部には人々がそれぞれのよりどころとした憲法章典が飾られている。