王宮のほぼ中央にそびえ立つ白亜の大宮殿が、チャクリー・マハ・プラサート宮殿だ。
この宮殿はインドネシア、シンガポールの外遊から戻られたラーマ5世の命によって建設が始められ、設計施工はイタリア人建築技師が担当した。完成は1882年のこと。
ラーマ5世が造り上げた無数の建築物は、どれもマンネリ化したタイの建築界に革命をもたらすものばかりだったが、この宮殿も例に漏れず見る者を唖然とさせる異様な迫力を持っている。
3階建てで、1階から3階までは素材に大理石を用いたコリント式列柱をあしらった正統ビクトリア様式を取り入れているが、重層の屋根からその上に突き出ている仏塔に至るまでは、完全なタイの伝統的建築スタイルが踏襲されている。
並列・平行・両立というテーマで設計が進められたのだろうか。とにかく東西建築様式の融合や折衷という考え方はデザイナーの頭の中になかったようで、無理やり力で合体させたような設計になっているが、それがまた見事に調和しているところが並ではなかったラーマ5世のセンスを物語っている。常人の神経では設計も施工も発注もできなかっただろう。「趣味が悪い」 とは言わせない圧倒的威圧感がすさまじい。
作家の三島由紀夫は、小説 「暁の寺」 の中でこの宮殿を、「いかにも、それは王者の寝姿の威ある冷たい白い胸の上に、鋭い爪と嘴を持った夢魔が金と朱の翼を逆立ててのしかかっているようだった」 と表現している。
宮殿は中央部と両翼部の3つに分けられており、それぞれ3層の廊下によって接続されている。
中央部1階は国王警備兵の詰所、2階は謁見ホールになっており、両翼部には王室専用応接間、客間、図書館などがある。
全体に王室博物館、謁見場、迎賓館の趣があり、現在一般に公開されているのは接続廊下1階の武具・銃砲博物館部分のみになっている。
資料によると、この宮殿内の装飾及び調度品は中世ヨーロッパ風で統一され、各ホールの壁にはラーマ1世からラーマ7世までの歴代国王の肖像画、列強諸外国大使との謁見風景の写実画、ラーマ7世と王妃の肖像画、イタリアのフローレンス市の画家の手によってヴィクトリア朝の描法で書かれたラーマ5世とその5人の王妃の等身大肖像画などが飾られている。 |