南部ベトナム山中にて

 

3.忍び寄るジャングルの罠

 

 

 個人的には大苦戦を強いられていたが、周囲の自然はすばらしかった。高度が変わるごとに気温が変化し、そのたびに植生が変わっていく。俺が通過した小道の横には太い樹林からつる草の下がる典型的な熱帯のジャングル風景もあれば、熊笹にススキが揺れる日本の秋の野山のような風景もあった。
 のんびり、なんの不安もなく歩くことができれば、ここは最高のハイキングコースになるだろうと心の片隅では思うが、蛮人に襲撃されたら死体も見つからないという恐怖心のほうが大きくて、自然を楽しむ余裕は生まれなかった。それどころか、ひょっとすると先行する笹原が先に襲われて、茂みの中に彼の死体が転がっているかもしれない。漏れたオイルの跡ももう見えず、そう思うとますます周囲を見回す勇気がなくなってくる。

 たとえトラブルに見舞われても、「どうにでもなる」 と考えて力を抜けば、運命の流れにうまく乗って、結果的にはなんとかうまくいくものだった。しかし、「どうにでもなる」 と考える根拠は自信で、それらはすべてそう思う個人の内から生まれている。だから今回のように他人の考えた 「どうにでもなる」 に巻き込まれた場合、「これは自分で選んだ道じゃない」 との思いが強すぎて、弱気ばかりが先行してしまうのだ。

 このままでは気が滅入っていくばかりである。そこで熊よけの意味も込めて歌を歌うことにしたが、なにを歌っていいのかわからない。旅だ旅だ旅だ……なにかこの状況に適した旅の歌はないのか。思いつくままに俺は歌っていった。まず一曲目はビートルズの 「ロング・アンド・ワインディングロード」 だ。うん、これほど今の俺に適切な歌はない。
 しかし、悲しいことに歌詞をはっきり覚えておらず、歌は途中で鼻歌になってしまい、これでは熊が逃げ出すどころか呼び寄せてしまう結果にもなりかねなかった。どうしよう。そのとき俺の頭に浮かんだのは八甲田山で遭難した部隊の歌だった。

「雪ィの森林日差しを浴びて……」

 熱帯の山中という場違いな場所で元気よく場違いな歌を歌っている俺は、どうやら天にも見放されかかっているようだった。時計を見ると午後6時になっていて、日没はすぐそこにまでに迫っている。

 普通の道を走っていたら今頃はサイゴンの居酒屋でビールでも飲んでいるんだろうと思うと急に腹立さが込み上げてきた。異国で無謀な冒険の果てに命を落とす日本人は多いが、俺もすっかりその仲間入りだな、などと自分で自分を笑ってみるものの、状況に変化はない。アメリカ軍はよくこんなところで戦争する気になったもんだ、アメリカ人ってのはやはりバカなんだな、とバカはバカ同士なぐさめあおうと試みても、アメリカは戦争に負け、俺のほうは次第に忍び寄ってくる暗闇に視界を奪われようとしている。気の持ちようで世界は変わると人は言うがそれは嘘で、要するになにをどう考えようが、今ある状況はかわらないのだ。
 新たに発見した標石によると、目的地まであと44キロだった。そうかそうか、40キロか。それがなんだ、あと10時間の山歩きがなんだ、俺はいつまでも歩いてやるぞ!

 ……と勢いをつけながらも、実際はかなり心細かった。まったくこんなのは旅行じゃないよ。ああ本当に来るんじゃなかった……

 嘆いているといきなり茂みが音を立てた。ギシギシと草を踏む音が聞こえ、聞き耳を立てて判断するには、そこに二人の人間がいるらしい。人声がするので動物ではなかったが、こうしたひと気のない山奥では、こわいのは動物よりも人だった。動物は、なんのかんのと言われても意味なく人を襲ったりしないが、人は平気で人を襲う。そして無抵抗な人間の命を奪うことに関しても、なんの抵抗もない。刺すし殴るし撃ち殺すしと、噛みつくだけの動物よりは、よほど多彩な技術も持っている。こんな無人の山中で言葉もわからないゲリラや山賊に襲われたら、虎や熊に襲われるよりも生存の可能性は低いかもしれない。

 緊張の中で身構えていると、茂みの中から竹カゴをかついだ山岳民族の老婆が現れた。色黒のしわくちゃ顔で、俺を見ると一瞬驚いた様子だったが無理もない。こんな場所と時間にこんな男がいるはずは、本来であればないのである。しかし、すぐに顔をほころばせると、彼女はニコニコとうなずいた。ああバアさんなら安心だ。山賊ババアの話などは、日本昔話以外に聞いたことがない。
 だが安心するのもつかの間のことで、すぐに後ろから夫らしい老人が現れると、俺を確認した瞬間に腰から大型のナタを引き抜いて威嚇しはじめた。これはどうやらまずいことになった。俺は敵ではないのだが、歳から判断するとベトナム戦争体験者で、ひょっとすると 「外人はみな蛮族!」 と思い込んでいるかもしれない。

 どうすれば友好的な態度が取れるのか。身構えたまま思案しているとバアさんが横からなにやら言った。ベトナム語ではないので意味が全然わからないが、笑っていることから考えると、「こいつは悪人ではないよ」と言っているようだ。それを聞くと老人はナタをしまい、それでも油断はまったく見せずに堅い笑顔を浮かべた。やれやれ、なんとか助かった。
 老婆は俺に興味を示して盛んになにごとかたずねてくるが、とにかくまったく意味がわからず、ただ疲れた笑顔を返すしかなかった。俺はなぜだか田舎の老婆に人気があって、こういう場合には非常に助かるのだが、若い娘になぜウケないのかについては、無事この難局を切り抜けたあとでじっくり検討する必要がある。

 それでも努力を続けてこの老夫婦と意志疎通をはかってみると、いちばん近い村までまだ20キロほど離れていることがわかった。笹原は修理して戻ってくると言ったが、ひび割れたエンジンを直すほどの修理屋がこんな山奥にあるとは思えないから、たぶんファンティエットまで行っているだろう。あきらめて老夫婦の家にでも泊まらせてもらおうと思ったが、やはり話は通じなかった。手を合わせて頭の横に添え、「ボク眠りたいんです」 と伝えてみたが、二人はハハハと笑うだけで取り合わず、そのまま立ち去っていこうとする。察するところ、ありがとうのサインと勘違いしたらしいが、このシグナルは眠りの世界共通語ではなかったのか。

 それからまたも一人になり、30分ほど歩くと時計は午後7時をまわって陽は完全に沈んでしまい、足元すらも見えない状態になった。こいつはもうダメかもしれない。不安な自分に酔うのはもうやめて、安全な場所を探して本格的にビバークすることを検討しよう。
 そんなふうに観念した瞬間、目の前に警官の詰め所があるのを発見した。これを見つけて 「ああ安心」 と思うのはシロウト。ベトナムの官憲の質は最低で、俺はダ・ナンでひどい目にあってるから、できれば避けたい。実際、明るいうちだったら茂みに入って迂回したと思うが、いまは周囲は真っ暗闇。樹木の間にまぎれてしまったら、それこそ道がわからなくなってしまう。不安感のほうが強かったので、俺はさっさと降参した。

「俺は日本人だ! 道に迷った!」

 驚いたのは相手方のほうで、こんな山奥にいきなり日本人があらわれたのでビックリ。怪しいヤツだ(あたりまえだ)というわけですぐに数人の警備兵に囲まれて訊問された。

 しかし、おたがい言葉が通じない。警官は北部から来た田舎兵で、それがベトナム語かどうかもわからないほどなまっているし、俺のベトナム語力はあいさつしかできない。それでもああだこうだと言われ荷物検査を受け、

「さて、どうするつもりだ、おまえは?」

 という話になった。どうもこうもない。どこにも行けないのでこの詰め所に泊めてもらうしかない。そう言うと一人が、

「いや、あと1時間くらいすれば町に行く用事ができる。そのとき車に乗せてやろう」

 と言い出した。しかし、その話にも裏があって、当然ながらタダでは乗せてくれない。車に乗りたければ金を出せという。ベトナム人はなんでも金だ。
 支払うのがいやな俺は、

「だったら明日歩く。今晩はその辺で寝るぞ」

 と言った。気のいい一人は、「それがいいね」 と言ったが、性格の悪そうな二人が、「いや、車に乗ってもらう」 と言い張る。俺は俺で、「だったらタダ乗りさせろ」 とゴネる。こうなると、なかなか収拾がつかない。

 そうこうしているうちに、「こりゃ金を払うしかないかな」 と観念した瞬間、道の向こう側からバイクがやってくる音が聞こえた。ライトがまぶしくてよくわからないが、笹原のものではないし、運転しているのはベトナム人のようだ。方向が合えば乗れるのに、彼は逆から走ってくる。本当に今日はついてない。
 しかし男は俺を確認すると、バイクを止めてこう言った。

「おまえの友達はこの先の町でバイクを直している。迎えに行けと言うので来た。後ろに乗れ。そこまで連れてってやる」

 実際はこれほどスムースではなかったが、それでも男はたどたどしい英語で、態度だけは実に立派に偉そうにそう言った。まさに救世主の到来である。男の風体は救世主とは思えないほどみすぼらしかったが、迷わず俺はシートにまたがった。とにかく助かったのである。やはり、持つべきものは友達か……なんて思うかバカヤロウ! こんなに心細い思いをさせやがってなにが友達だ笹原! 俺はもう二度と信用しないぞ!

 見知らぬ男のバイクに乗って約30分。暗闇の、ほとんどなにも見えないジャングルを突っ切ると小さな村に出た。村は粗末な土作りの家で構成され、屋根はそろってヤシの葉ぶきである。
 そのうちの一軒に明かりが灯され、大勢の人々が取り囲んでいる。その前でバイクは停まり、降りると笹原がいた。

「大丈夫だったか。とりあえず、言ったとおりに迎えに行っただろう?」

 今度顔を見たら即座に首を絞めてやろうとそればかり考えて山道を歩いていたにもかかわらず、実際に彼の顔を見ると安堵のほうが先行して、怨念は一気に消え去ってしまった。人の感情なんて、こんなもの。それこそ 「どうにでもなる」 ものなのだ。

 修理作業は続けられていたが、やはり村ではエンジンの修理はできず、結局はパンクだけを直し、オイルはそのつど継ぎ足しながら進むことになった。作業は難航し、料金も倍ほどボラれたが、それでもこんな電気もない山の中で立ち往生するよりは数倍マシだ。
 長い値引き交渉の末に支払いが終わると笹原は言った。

「行くか、ファンティエットへ」
「着いたらビールをまず飲もうぜ」

 村人たちの歓声を浴びながら我々は村を出た。1時間ほど走ると、前方に人工的な明かりが見えてきた。そこには線路があり、町があった。
 文明がこれほどありがたく感じられたことは初めてだった。 これもみんな笹原君のおかげ。感謝するよ……なんて俺は絶対言わないぞ!

<無事におわりました>

 

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