出発前、笹原はこの山道ルート突破を冒険と呼んだが、今となってはただの無謀な行為でしかない。
ひとりになって10分ほど歩くと、山道わきの草むらに距離を示す標石があるのを発見した。古いもので、いつごろ作られたのかわからないが、それによると目的地のファンティエットまであと55キロあるらしい。この距離を歩き通せというのか? この岩ボコだらけの山道を?
しかし、待っていても助けは来ないし、泣いても笑っても怒ってもどうにもならないなら歩くしかない。道標があるくらいだから道には違いないのだろうが、これまで40キロ走っても村はひとつしかなかったし、車もバイクも通らなかった。
それよりなにより、この道が車の走れる道ではないのだ。道幅が狭くてバスはまず通れず、四輪駆動車でもなければこの急傾斜の悪路は登れるものではなかった。しかも両脇は密林で覆われ薄暗く、いつゲリラや山賊が出てもおかしくない不気味さに満ちているから、よほど用事のある人以外は間違いなく敬遠するだろう。
だいたい、この道で間違っていないのだろうな。ひょっとしたら正しい道だと思い込んで、本当はまったく別の小道を歩いているんじゃなかろうか。
けわしい砂利引きの路面には、壊れた笹原のバイクから漏れ出したオイルがばらまかれていた。彼が通ったたしかな証拠と思えばいいが、オイルと一緒にボルトやナットまでまき散らしているから不安はつのるばかりである。いったいどこの部品だろうかと、落ちたボルトをひろうたびに不安は増していく。こんな状態で走っていくと、バイクは町に到着する前にばらばらになるだろう。
今回は編集部からこっそりいただいてきた 『地球の歩き方』 のベトナム編を持ってきた俺だが、それがいったいなにになるだろう。巻頭見開きの地図を見ても、そこには俺のいる道が書いてないじゃないか。目的地の載っていないガイドブックなどは単なる旅の重荷でしかない。腹が立ったので捨てようかと思ったが、それでもやっぱりカバンの中に入れておいた。もう一度開いたら自分の居場所が載っているような気がして、こうなると一種のお守りだが、ワラをもすがる思いとはこのことだ。
突然、人っ子一人いないと思われていた道の前から話し声が聞こえてきて、俺は思わず立ち止まった。すわ山賊かと思うが逃げ場はなく、そのまま呆然として突っ立っていると薪を運ぶ褐色の山岳民族の青年たちがやってきて、照れた笑顔でなにやら言った。しかし言葉はベトナム語ではなく、そのため俺にはわずかの単語も理解できない。
俺も驚いたが彼らも相当驚いたようで、濃い褐色の顔に浮かべる笑顔はもはや笑顔と呼べないほど引きつっていた。なにしろとんでもなく──ひょっとすると生まれて初めて見るかもしれない──異質な人間がそこに立っているのだから、彼らが困惑するのは当然だ。俺も彼らと同じく背中に重い荷物をかつぎ、同じ山道を歩いていた。しかし服装も態度も肌の色も驚くほど違っており、彼らの風体が周囲にしっくりなじんでいるのに対して、俺は場違いな場所にやってきた変人のように浮いていた。
彼らはどこの村へ帰るのだろう。数時間前に通過したあの村だろうか。だとすれば、その道のりはまだまだ遠い。俺が目指す55キロ先の町ほどではないけれど、家路はかなり遠かった。
この道はたぶん、あの有名なベトコンも使った道だろう。ベトコンはこういう山道を、重い荷物をかつぎながら進んだのだ。大変だったんだろうなあ、つらかっただろうなあ、などとあれこれ他人の苦労を思い浮かべながら足を動かすが、そんな情けは気休めにもならず、距離はいっこうに減らなかった。
約1時間後になってようやく新しい標石を見つけたが、ファンティエットまでまだ51キロも残っていた。1時間もの間、一歩も足を止めずに歩いてやっと4キロ進んだ計算だが、山道の歩行とはこんなに遅いものなのか。腕に巻いた多機能時計を確認すると、日の入りまであと2時間しか残っていなかった。このまま時速4キロで歩き続けたとしても、町に着くのは13時間後の午前3時になる。
二日酔いがひどかったので出発時刻を遅らせ、それでこんな結果になったのだが、それを言ったら最初からこんな道を行かなければよかったわけで、いまさらグチをこぼしてみてもはじまらなかった。10時間を越える歩行となれば、途中の休憩と食事も考えなければいけないが、こんな事態になるとは予想もしていなかったので食料はいっさい持っておらず、当然ながら水もなかった。どこかの村でひと休みとも思うが、その村もない。このジャングルにはリスやら猿やら蛇やら体長1メートル以上の大トカゲなら何匹でもいるのだが、それ以外の生物は俺しかいないような感じだ。
絶望的な状況だが、それでも前進するしかなかった。とにかく歩くしかないのである。事前に得ていた情報によると、この一帯のジャングルはつい最近まで野生の虎の有名な捕獲地だったというから穏やかではなかった。しかも俺は昨日、ダラットの珍味料理屋のメニューに熊肉が用意されているのを確認していた。肉があるなら本体もいるはずで、もし虎や熊が本当にいるのであれば、彼らは夜行性の動物だから、陽が落ちるまでになんとか安全を確保する必要があった。さもないと自分の食料の心配をする前に、俺自身が彼らの食料になる危険性がある。
一歩踏み込むごとに苦行に近づく山行の中で、俺は冒険について考えていた。正直に言って俺はこれまで冒険家という人たちに対し、あまり敬意を抱いていなかった。単独行になんの意味がある、命を的にして一番のりや未到ルート開拓に挑んでなんになると思っていた。それは単なる自己満足と虚栄心が形を変えただけのもので、刺激を求め続けていれば危険に近づくのはあたりまえだと思っていたのだ。
しかし、俺は考え方を変えた。冒険は冒険家の願望達成のための行動ではなく、人々に希望を与える行為だと気づいたのだ。そうだ今の俺のように、困難に直面している人はそれ以上の困難を乗り越えていった偉大な人物たちの功績を思い出して自己を勇気づけるのだ。あの人はもっと苦労したぞ、あの男ならこれくらいのトラブルは平気で乗り越えるぞと、自分に言い聞かせて力を得る。彼らの冒険には、そんな勇気を生み出す社会のカンフル剤的効力が隠されていたのである。
ただし、現実には冒険行の途中で命を落とした冒険家も数多く、不安が多いときは逆に彼らの偉大さが心細さを増大させてしまう。最悪の例として、俺は偉大な冒険家の功績を数えあげている最中に、運悪く植村直巳や長谷川恒男の顔を思い浮かべてしまった。考えてみれば、あれほどすごい冒険を達成した人でも命を落とすことがあるんじゃないか。そう思うと、すごい冒険家にはほど遠いシロウト旅行者の俺などは、危険に達するはるか手前であっけなく死んでも――たとえ町から50キロ離れただけの山道で命を落としても――なんの不思議もない。
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