ベトナム在住5年半になる私、今回は週末だというのに仕事の出張である。こんな事もあるとあきらめて仕事に励んだら、仕事はさっさと片づいて日曜日が丸々空いてしまった。 古都フエは中部ベトナムの小都市である。フォン川が旧市街と新市街を分けるように流れ、主にその上流に歴代皇帝の墓所や寺が散在する、静かで落ち着いた歴史の町だ。日本の京都のようだと言われることも多いが、私はどちらかといえば奈良のたたずまいに似ているように思う。 しかし、どこも結構な入観料をとるし、炎天下であちこち行くのは疲れるので、今回はちょっと足をのばして、ふだん行く機会の少ないザーロン帝廟に行くことにした。グゥェン朝初代皇帝自らが象に乗って山に入りその場所を決めたというザーロン帝廟は、フォン川上流の小高い丘の連なりの中にあり、他の帝墓から離れて孤高を保っている。 川沿いの道を小一時間も走ると、<Gia Long→>と書かれた小さな板が目に留まる。そこから小舟にバイクを積んで、対岸に渡らなければならない。しかし小舟はたったの一舟。一人のオバちゃんの完全独占で、往復料金前払い・値下げ一切なし!の断固たる態度なのだ。 対岸にすぐザーロン帝廟があるとなんとなく思い込んでいたのだが、実はまだ数km先なのだった。バイクをおろしてオバちゃんの指差す方向にむかって小道を走る。 二人の名前はタオとトゥー、12歳のザーロン専門のフリーガイドだ。片言の英語と身振り手振りで、ザーロンの母の墓(日本の古墳のような小高い丘だ)、第二夫人の墓、などを教えてくれる。そのあとの少し長い説明を理解するのに少し手間取ったが、多分こんな感じだ。 「ザーロンには3人の夫人がいたんだけど、第二夫人を一番愛していたの。だから彼女の墓を自分の墓のとなりに作らせたのよ。今でも二人は毎日会っている」 そんな話を聞いているうちに、ザーロン帝廟に着いた。こんな奥地までくる観光客はあまりいないのだろう、入場券売場どころかジューススタンドさえない。廟の前の空き地にバイクを止めて、少女たちの後についてひっそりとした廟の中へ入った。 入ってすぐのところは寺になっていて、墓所は寺の奥を左に回りこんだところに寺に並ぶようにして作られている。寺と墓所の向こうはちょっとした広場になっていて、その先に下り階段があり、そこからはもう付近の山の中だ。 昔は築山や蓮池が築かれ、周囲を外壁に囲まれていたのだろうが、今となっては自然の山間にポツンと寺と墓所だけが放り出されているようだ。その静かなたたずまいとも相まって、自ら象に乗ってその場所を選んだというザーロン帝がなんだかとても身近に感じられて、木陰に座ってしばし遠い昔に思いを馳せた。 のども渇いたし、そろそろ帰ろう。そう思ってバイクのところまで戻って来たら、後輪がパンクしている。 修理ができるところ、といってもバイク屋ではなく、普通の民家だった。オヤジが修理道具を持っているということらしい。オヤジは子供たちにテキパキと指示をし、修理にかかる。自転車で空気入れを借りに行く子、水を汲みに行く子と、みんなが働き出した。私は勝手に家に入り、目についたベッドに横になった。 トゥーに起こされて目が覚めた。15分もまどろんだだろうか。パンクはすっかり直って、オヤジはすでに道具を片付け、お茶を飲んでいるところだった。 ガイド嬢たちの家の前まで戻って来たら、しっかりガイド料を請求された。 「いくら?」 「いくらでもいい」 ちょっと考えて、とりあえず5,000ドンずつで様子を見ることにした。札を二人に手渡すと、あっさり 「ありがとう」。 川沿いの小径は、渡し舟の船着き場の先もずっと続いている。もしかしたら国道に抜けられるのではないかと思いガイド嬢に聞いてみたが、彼女達はザーロン帝廟専門なので、道のことまではわからない。 ガイド嬢たちはなにやらベトナム語で話してはキャピキャピと笑う。道ゆく知り合いに手を振る。私はわざとくぼみに突っ込んだり、空き地に乗り入れたりする。そのたびに後ろで大騒ぎが始まる。 小さな橋をいくつか渡り、集落を抜け、工事箇所を迂回して20分も走っただろうか。小径はまだ続いているのだが、タオが帰ろうと言い出した。トゥーも帰ろうという。国道にでられるかどうか結局わからないまま、私はバイクをUターンさせた。 やがて木立の間から船着き場が見えてきた。独占船主のオバちゃんの舟が着いたところらしく、何人かの人が坂を上って小径に出るところだった。ここから歩いて帰るという彼女達を降ろして坂を下っていった私を、オバちゃんがニコニコ顔で迎えてくれた。 ゆっくりと岸を離れる舟から、ゆっくりと家路をたどるタオとトゥーが見える。やがて差し掛かった小橋の上から、二人はいつまでも手を振った。対岸近くなって二人が見えなくなるまで、私もまた手を振った。 少しずつ日が傾き、あたりが少しほの暗くなって来た。対岸でバイクを降ろした私は、なんだかとてもゆったりとした気持ちになって、街をめざしてゆっくりとバイクを走らせた。 |