現在は外務省オフィスとして利用されているが、もとはといえばラーマ4世が引退後の自分の隠居生活を快適なものにするために立てられた宮殿。 しかし、宮殿が完成する前に、隠居するはずだった本人が亡くなられたのはなんとも皮肉。
完成後、ラーマ5世は宮殿を諸外国の王族用謁見場として利用していたが、ラーマ6世時には王族のための住居となり、のちに国内行事の執行用宮殿となったあと、1926年以降は外務省が使用している。
一般公開はされていない。