ひとくちに仏教徒が全国民の95%を占めるといえど、その信仰のスタイルは同じではない。宗派や教儀が違えば、究極の目標も違ってくる。
華僑の仏教信仰者に接すると、一般的なタイ人仏教信仰者との違いに気づくはずだ。それは土着のタイ人と、他国からの移民である華僑とを区別する違いでもある(在タイベトナム人も大乗派)。
華僑の仏教は本土である中国から運び込まれた北伝仏教、すなわち大乗仏教だ。タイを支配する上座部仏教とは、西暦紀元前400年頃から袂を分かち合った対立派閥である。
まず、信仰する寺院が違う。
同じ仏教寺院でありながら、形態が異なっているのだ。
漢字表記が多いので、日本人なら 「これこそ真の仏教寺院」 と考えやすいが、仏教はそもそも北インドで起こったのだから、仏教と漢字を結び付けて考えるのは正しくない。
タイの僧侶は、仏陀が説教時に使用したと伝えられている梵語の一種パーリ語で書かれた仏教教典を用いており、漢文教典を使用している大乗一派より、こちらの方がより原点に近いと考えることもできる。
地理的、距離的に見れば、タイの仏教の方が日本の仏教より近いところにいるのである。
タイ国内を旅すると、黄色い袈裟姿の僧侶をよく見かけるが、その中に中国人然とした僧侶の姿がないのを変に思われた人はいないだろうか。経済の実権を握り、バンコクを支配するほどの人口にもかかわらず、である。
実はこれも、彼ら中国系のタイ人が大乗仏教を信仰しているためで、彼らは僧侶にならずとも、平安の地に至ることができるのだ。
もちろん敬意は表するが、それぞれが仏門に入る必要はなく、信仰心を持ち続けるだけで事足るのである。
タイ仏教との違いを特に感じるのは、葬儀の進め方だろう。
中国系タイ人の葬儀方法は複雑極まりなく、儀式的だ。
遺体は棺桶に納められ、墓地に運ばれ、土葬されるが、その一方で一般的タイ人の葬儀は、非常にあっさりしている。
彼らには墓地もなく、遺体は火葬されると寺院の仏塔の中に納められるか、壁の中に埋め込まれる。没後の供養も中国系の場合は日本と同様の法事が何度も行われるが、タイ系の場合は、これといった儀式がない。
仏教国タイといっても、ひとつにまとまっているのではない。それはタイ人と中国系の人々との関係にも似ている。
彼らはタイ人として同化しているものの、同一ではない。融合した異質のものなのだ。
たとえ同じように見えても、本質的にはどこかちょっと違うのである。 |