タイの宗教を語るとき、忘れられないのがピーの存在だ。
ピーとはタイ語で精霊、御霊、お化け、魂など、実体はないが存在感だけはある幽体のことを指す。あるいは神の概念の総称か、すべての実在に内在する気のようなものと言ったらいいだろうか。
ピー信仰は、本来はタイに土着の精霊信仰だが、現在ではタイ仏教とも完全に融合し、切り離せないものとなっている。
ピーはどこにでもいる。草花、木、家、町角のすべてにピーがひそんでいる。
あなたの中にもピーはいる。ピーの介在しないものはどこにもない。
しかし、ピーには良いものもあれば、悪いものもある。
良いピーは幸運をもたらし、悪いピーは人々を不幸に導く。
目に見えない力や超常現象はすべてピーのなせる技。ピーの怒りを恐れるものは常にピーを敬い、崇拝して、大切にしなければならない。
民家の庭先、ホテルの前、雑居ビルの屋上など街の至るところに立っている小さな祠(サーン・プラ・プーム。上の写真)はピーの住処。人々は花を飾り、線香を焚き、食物を捧げてピーを祭る。あまり仏教的ではないと思うかもしれないが、祈り方は同じだし、ピーの祝祭には仏僧が立ち会い、パーリ語のバラモン経典も暗唱する。僧侶と言えどもピーを恐れることにおいては同じなのだ。
この手のプームでもっとも有名なのは、ハイアット・ホテルの横に立つ立つタン・タオ・マハ・プーム。ここは霊験あらたかと信じられており、参拝客はいつも絶えない。
身近なピーは、タイ人の胸元にもある。
ほとんどのタイ人が胸にぶら下げている小さな仏陀のお守り、これがピーだ。首からはずすと災いが降りかかるというので水浴びの時も眠る時も体から離すことがない。
このピー信仰は地方へ行くほど強くなり、北部の山岳民族などともなると、このピーだけを信じている。
神の概念は大気のごとくあいまいになり、偶像崇拝がおこなわれる。世界は現象界と精霊界の二界に別れ、人々は精霊を畏怖し、敬わなければならない。
東北部イサーン地方でもこの傾向は強い。都会を離れるに従ってピーの勢力は強くなり、近代化とはほど遠い田舎の村では猛威といえる力を見せつけている。
人力の及ばぬところにピーがいる。ピーは自然の中でこそ、その威力を発揮するのだ。
タイでオカルト映画が大受けするのは、国民の多くがピーの存在を固く信じているからだ。
どんな理不尽なことでも、ピーならできないことはない。地縛霊などは悪いピーの典型で、のりうつったり、たたったり、悪事をはたらいたりするのはピーの日常なのだ。
悪いピーは常に人々を狙っている。人々はそれを阻み、良いピーの加護を得るようにしなければならない。
良いピーは人民を保護し、正しい方向へと導いてくれる。人はいつもピーとともに生きているのだ。 |