修行中の僧侶だけが対象とされる上座部仏教。しかし、タイでは一般大衆にも救済の道が開かれている。 現世で身に降りかかる出来事のすべては前世での徳の高低によって決定されていると考えるのが、このタンブン思想の原点だ。 わかりやすく書くと、タンブンは輪廻の中における善行の長期預金だ。運命の善し悪しは先天的なものだが、それも結局は個人の前世での努力量によって決まる。となれば、現世ではなにをなすべきか? 具体的にはどうするべきか? また、転生は人間界だけに限ったものではない。タンブンを積む作業を怠ると徳は確実に目減りしていくし、悪行を働くと逆の作用が働いて、下等動物への転生が待っている。罪を犯したものの魂は犬などの獣へと転生され、向上どころではない生活が待っている。 早朝、僧侶たちはそれぞれがこもっている寺を出て、托鉢(ピンターバーツ)にまわる。「坊主は乞食(こつじき)であるべし」 という仏陀の教えに従っているのだ。 しかし、彼らの鉢(バーツ)の中には、とても残飯とは思えないほど立派な食品ばかりが詰まっている。施しを希望する人はあとを絶たないし、早朝の市場に行くと 「喜捨セット(米・おかず・飲み物が小さなビニール袋に入っている)」 まで売られているのだ。 どんなにすばらしいものを与えられても、僧侶たちは絶対に感謝しない。それはあくまでも残飯であり、彼らに向かって捨てられたものだからだ。 タイにはひと月に4回の仏教日ワン・プラがある(新月と満月とその中間日)。この日は絶好のタンブン日となり、各寺院では法要が行われ、喜捨寄進の品々が各家庭から山のように寄せられる。ここでも、喜ぶのは徳を積むことができた一般の人々なのだ。 また、女性の場合は息子を出家させることが最高のタンブンとなり、家族の徳もまた高まる。 こうして徳を積めば積むほど来世での生活が保障され、その将来が安定していく。 その格差は年を追うごとに開くばかり。さらに最近では子供を出家させるにも莫大な金が必要になっている。僧侶になるためには多額の準備金が必要で、手軽なように思える出家でさえも、実は楽ではない。 不平等の声はあちこちで聞くが、それでも人々は熱心にタンブンに励む。それしか幸福に至る道はないのだから、励まざるを得ないのだ。 |
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