マレーシアに消えた男

タイシルク王の軌跡

by 藤井伸二+ブライアン

 

 タイのシルク王ことジム・トンプソン氏は1906年3月21日、アメリカ合衆国デラウエア州グリーンビルで生まれた。彼は少年・青年時代をそこで過ごし、1924年にプリンストン大学に入学。卒業後は、さらに建築学を学ぶため、ペンシルバニア大学に再入学している。
 結局、彼は卒業単位を修得することができずに終わるのだが、建築設計にかける情熱は冷めず、中退後はニューヨークに出て建築設計業を始める。

 1939年、ヨーロッパで第2次世界大戦勃発。建築家としての生活は気に入っていたものの、平穏無事な生活に嫌気がさしていたトンプソン氏は即座に仕事を辞めて軍隊に志願し、国内砲兵隊員となった。
 1942年、O.S.S.(戦略作戦局。現C.I.A.の前身)への転属命令が下り、ヨーロッパ戦線に従軍。大戦中は諜報活動に従事し、ヨーロッパ解放後はアジア潜入の特訓をカリフォルニアとスリランカで受ける。
 1945年8月、地下に潜んでいる現地工作員援護のため終戦間際のバンコクに降り立ったのだが、これがトンプソン氏の記念すべきタイ初訪問であった。

 トンプソン氏到着から数週間すると、彼の前任者が帰国。かわって彼がO.S.S.バンコク支局長の座につき、アメリカ領事館を開設すると、臨時の外交業務を代行担当する。
 同時に個人的な事業として、当時は一流とは言えなかったオリエンタル・ホテルの買収を計画しはじめる。

 翌1946年末に除隊。ホテル買収のための投資家を募るための一時帰国中に妻と離婚。
 1947年、ふたたびタイへ戻って計画を実行させようとするが、友人たちとの話し合いがうまくいかず、計画は頓挫。途方に暮れるトンプソン氏であったが、さりとて本国に帰る気にもならない(諜報活動のため、戻るに戻れなかったとの説もある)。
 そんな彼がホテル経営の次に目をつけたのが、タイシルクであった。

 それまでのタイシルク産業は、完全な土着的家内制手工業であった。織り方は素朴で粗野、色もデザインも洗練とは程遠い民族的な独自の生産品だったらしい。しかし、その野趣あふれる美しさに魅かれたトンプソン氏は、すぐにタイシルクの研究に着手。将来性があると見ると職工たちに新しいアイデアを加えた試作品を織らせ、本国に戻って宣伝活動を始める。
 やがて彼のシルクはファッション雑誌ヴォーグ編集長の目に止まり、同誌のグラビアを飾ったことから人気が爆発する。ニューヨークのファッション業界はその新鮮な荒々しさに驚嘆した。

 商業ベースに乗ることがわかった彼は、タイに戻って本格的なビジネスとして取り組むことに決め、1948年に株主を募って株式会社タイシルク商会を設立。職工たちを組織して欧米の技術を導入し、洗練さを加えていく。
 彼は零細地場産業であったタイシルクを世界市場に通用するタイを代表するような織物産業へと、徐々に発展させていった。

 彼は優れたアイデアマンであったが、同時に優秀な宣伝マンでもあった。それは彼の軍歴と地位を生かした広範な人脈のおかげでもあっただろう。1951年3月、ブロードウェイでのミュージカル王様と私に同社製シルクの衣装が採用されることになった。ミュージカルは大ヒットロングランとなり、タイシルクの人気とステイタスも同時に高まっていく。

 財を成すにつれトンプソン氏は、かねてからの趣味であった古美術品の収集にも力を入れ始める。彼の収集方法は、財力と行動力に支えられた盗掘すれすれと言ってもいいような強引さだったが、その功績は計り知れない。結果的に彼は真の盗掘家の手から美術品を守ったのだから、タイの岡倉天心のような人物とも言えるだろう。

 1958年には、彼が愛するタイ文化の集大成とも言えジム・トンプソンの家をアユタヤーやその他の地方の民家を寄せ集めて完成。もともと建築家であった技術を遺憾なく発揮し、後世にも残る立派で文化的価値も高い「民家」を築き上げた。
 古い美術品は骨董価値も高かったが、それらの文様や意匠からタイシルクに応用する幾多の芸術的なアイデアを得る意味でも重要であった。トンプソン氏はとにかくあらゆるものから近代タイシルク・デザインのアイデアを得ようと努力していた。
 シルク産業の勃興に便乗しようとする輩は多かったが、彼に匹敵するほどシルクに愛情をもっていたものはいなかった。彼はタイシルクを純粋な美術品と見なしていたのだ。

 運命の1967年は、そうした成功の日々の真っ只中にやってきた。同年3月23日、61歳の誕生日を迎えたばかりのトンプソン氏は、友人たちと復活祭を祝うために隣国マレーシアに向かい、友人の別荘のあるキャメロン・ハイランドに投宿した。
 3月26日、彼は3人の友人たちと近くの山中へピクニックに行く。昼食後、全員何事もなく別荘に戻ったのだが、この時がトンプソン氏の最後の消息だった。
 夕刻、昼寝しているものと思われていたトンプソン氏の姿が消えていることが判明。戻ってくる気配もなく、友人たちは同夜、地元警察に通報。その後は国を挙げての大捜索が展開されることになる。

 この捜索はマレーシア警察やイギリス軍の手による陸空同時の草の根作戦となったのだが、長期にわたる奮闘の末も効果は上がらなかった。
 最後は占い師や霊媒師の御託宣を仰ぐという非科学的努力を費やす結果となったのだが、それでもトンプソン氏の行方はようとしてつかめない。
 失踪後の彼の消息は、現在に至っても不明のまま。さまざまな憶測が飛び交ったがどれも決定打とはならず、証拠も目的も犯人像もわからないまま捜査はついに迷宮入りになってしまった。

 彼がもし今も生きているとすれば90歳を越える高齢となるが、生存説はほとんど消えている。1974年には法的にも死亡が宣告され、遺産は各方面に分配された。
 彼が設立したタイシルク商会は現在でもシルク産業の頂点にあり、その販売店は大勢の日本人観光客で常ににぎわっているが、トンプソン氏の優れた業績や、その謎に満ちた失踪事件の経緯を知っている人はほとんどいない。

 こうしてタイシルク王は消え、後には彼が熟成させたすばらしい芸術品だけが残された。

 

 

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