ラッタナーコシン王朝史1

ラーマ1世から4世へ

by 藤井伸二+ブライアン

 

 チャクリー王朝の歴史は、1782年、トンブリー王朝タークシン王の配下であったチャオプラヤー・チャクリー将軍が、精神に異常をきたした主君を処刑した後、後継者として王座に就いた時から始まる。

 チャクリー将軍は、みずからをラーマ1世(プラ・ブッダ・ヨートファ・チュラロック・マハラート。左)と名乗り、同年4月6日に正式に即位した(この日は現在「チャクリーの日」として国家の祝日となっている)。
 チャクリー王朝はラッタナーコシン王朝とも言うが、このラッタナーコシンとはワット・プラケオの本尊であるエメラルド仏のことであり、バラモン教インドラ神の宝石という意味である。

 ラーマ1世は王位に就くと、都をこれまでのトンブリーからチャオプラヤー川の東岸のバーンコーク村へと遷都し、“クルンテープマハナコーン……(以下延々と続く)”と名付けた。これが現在のバンコクの始まりである。
 ラーマ1世は先代のタークシンと同様に旧王都アユタヤーを国家の理想郷として仰ぎ、政治、経済、町並みに至るまで、すべてにアユタヤー様式を模倣した。
 王は破壊されたアユタヤーの寺院からレンガを運び込んで新都に王宮を造り、守護寺ワット・プラケオを建立。そして周囲に堀と城壁を築いて外敵の侵入を防ぎ、全盛時のアユタヤー以上の確固たる王制を確立した。
 ほかには、ワット・スタットサオ・チン・チャーなども建立している。
 さらに仏教法典を整理しなおして仏教国家としての基盤を固め、ワット・マハータートを建立して仏教学校の前身を作るなど、これまでの王朝になかったほど手厚く仏教を保護した。

 詩人としても名高いラーマ2世(プラ・ブッダ・ラート・ラ・ナバライ。右)は、1809年に即位された。
 王は続くラーマ3世(プラ・ナンクラオ。左)と共に、二代にわたってバンコク市内に以前からあったワット・ポーなどの古い寺院を修復し、ワット・ラーチャナダーといった新しい寺院も数多く建立して、仏教国の王都にふさわしい陣容を造りあげていく。

 ラーマ2世の王子であり、ラーマ3世の異母弟であるモンクット王ことラーマ4世が即位されたのは、1851年のことである。
 20歳から出家し、その後27年間ワット・ラーチャティワートで僧院生活を送られていた王は、その間に学問的知識と語学力、西洋文化に対する造詣などを深め、乱れ始めていた仏教を正すリバイバル運動を起こしタマユットニカーイ派を生み出すなど、活発な文化活動を行っていた。父ラーマ2世から血統的に最高位の王位継承権を持ちながら、権利を異母兄プラ・ナン・クラオ王子(ラーマ3世)に譲って出家していた学究肌の人である。
 ラーマ4世は、これまでの受け身一方の貿易による収入では国家の自立は不可能と判断し、1856年、イギリスと通商条約を締結してそれまでの鎖国的状況から門戸を世界に開放した。王室による独占貿易によって行き詰まっていた経済に活を入れ、主力生産品である米を輸出し外貨を得る方策に移行するためだ。
 これによって農家はこれまでの自給自足農業から出荷重視の農業へと転換し、チャオプラヤー・デルタ地帯の農地生産性が飛躍的に拡大した。チャオプラヤー川流域に運河網が発達し、平野部が一大田園地帯と化したのはこの時からである。王はこの後列強諸国と次々に条約を結んで市場開放政策を推進し、シャム国の経済を立て直していく。

 さらに、西洋文化と文明に深い関心を寄せられていたラーマ4世は、シャム国(イギリスとの通商条約締結時に正式国名となった)の発展のためには西洋式学問と文化によるよりいっそうの近代化が必要と考え、王族や貴族の子女たちに盛んに外国語と西洋文化を学ばせた。
 このうち、ラーマ4世が自分の子供たちの家庭教師にと1862年にシンガポールから雇い入れた女性が、イギリス人アンナ・レオノウェルズであった。彼女はマーガレット・ランドンの小説 「アンナとシャム王」 のモデルとして有名な女性だ(しかし、この小説の原作となった彼女の宮廷生活を書き綴った自伝は、本人の身の上話からすでに嘘で塗り固めた自慢話だとか)。

 この小説を舞台化したのが、ブロードウエイでロングランを続けたミュージカル 「王様と私」 (上の写真)だ。舞台で男優ユル・ブリンナーが演じていた禿頭の王様がラーマ4世その人。ブリンナーも、写真で見るかぎりはモンクット王本人に似ていないこともない。
 この芝居では、アンナと手を取りながら踊るダンスシーンが特に有名だが、実際に王はダンスがお上手であったと言われている。しかし、アンナを雇い入れた頃はすでに高齢で、あれほど元気よく踊れなかっただろうということだ。
「国王がイギリス人女性なんぞに指図されるものか」 という理由によって、この 「王様と私」 はタイ国内で上映上演禁止措置が取られているが、チャクリー王朝史を知るためにも見ておいて損はない。
 1999年、ハリウッドがチョウ・ヨンファを主役にしてこの映画をリメイクしたが(アンナ役はジョディ・フォスター)、タイ国内ロケは政府によって拒否された。やはり許されない映画なのだ。

  

 

 

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