ラーマ6世時になると発電所が建設されて電力供給が始まり、上水道工事にも着工の手が入った。国旗が従来のエラワン象(3つの頭を持つシヴァ神の乗物)の絵柄から現在の赤白青の三色旗へと変更され、旧態シャムのイメージを一新。 ラーマ7世時の1932年になると立憲革命が起こり、シャム国は古色蒼然とした絶対王制国家から立憲民主国家へと変貌を遂げ、名実ともに近代化への道を走って行く。 ラーマ8世時の1939年になると、国名はシャムから自由を意味するタイへと変更になり、翌年、第2次世界大戦勃発。タイ国は日本軍の駐留を許し、バンコク市内も何度か爆撃を受けたが、日本とは違い連合国の隠れた保護を受けていたおかげで致命的な戦災を被ることを免れた。 タイ国の発展は、すなわちバンコク市の発展であるのは言うまでもない。しかし、バンコク市の発展はタイ国全体の発展には決して結び付いていない。 道路網、情報網が整備され、タイは米軍の軍需品倉庫として機能しはじめる。さらにベトナムから数時間ということもあり、バンコクはR&R(レジャー&レクリエーション)休暇を取って息抜きにやってきた米兵たちのたまり場的様相を呈してくる。これがこの都市の加速的発展を促した。 その後は手軽なエキゾチシズムを求めて旅行者が集まりだし、高級から低級まで様々なランクのホテルが建つ。市内の労働力が不足しはじめ、地方から職を求めて人が集まる。低賃金で働く労働者が身を寄せあってスラムを形成する。車が飛躍的な数で増えはじめたため道路が狭くなり、便利の悪い船上交通網は時代遅れとされて運河は埋め立てられ、その上に道路ができる。地価高騰で古い木造の家は取り壊され、跡地には巨大な鉄筋のビルが建つ……と、怒濤のような発展が続いた。 しかし、それらの発展は、現在では非常に重い足かせとなって、バンコクの動きを封じ込めている。 バンコクはもともと混沌の中で発展してきた街だ。生命を持つ都市のように小さな細胞が自家増殖を繰り返しながらここまで巨大化してきた。いまさら行政改革など焼け石に水かもしれないし、第一バンコクらしくない。 |
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