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エクスプレスボート
詳細観光案内4

by 藤井伸二+ブライアン

 

メモリアル橋からピンクラオ橋へ

 ラーチャウォン船着場を出ると、目の前に現れるのがメモリアル橋だ。
 この橋は、第2次世界大戦中に旧日本軍の爆撃によって破壊されたが、戦後に修復され、現在に至っている。

 ここには合計2本の橋が架かっており、正確には手前をプラ・ポックラオ橋(ラーマ7世橋)、向こう側がプラ・ブッダ・ヨートファ橋(ラーマ1世橋)と言うのだが、タイ人はあっさりとサパーン・プット(ブッダ橋:左)と総称している。
 メモリアル橋という英名の由来は、プラ・ブッダ・ヨートファ橋がチャクリー王朝150周年を記念して架けられたことからきている。
 橋のたもとには、そのラーマ1世の巨大な銅像(右)もある。橋を完成させたラーマ7世を記念するプラ・ポックラオ橋は、後年になって架けられている。

 橋の右端に見えている仏塔は、日本人納骨堂を境内に持つワット・ラーチャブラナの仏塔。左端に見えている仏塔は、亀寺として有名なワット・プラヨーンウォンだ。

 橋をくぐると、すぐに船着場に着く。この船着場の先の右側には野菜、果物、花などを主に取り扱っているパーク・クローン・タラート(左)が広がっている。
 市内でもかなりの規模を持つ大市場で、ほぼ24時間いつでも大にぎわい。川岸にまで張り出した屋根付き市場には船着場が何カ所も設けられ、商品を運び込む生産業者や、仕入れにやってくる大口買い物客の船に便宜を図っている。

 この市場を過ぎたところにある河口の横がラーチニー船着場で、そのすぐ隣りにある塀に囲まれた欧風建築物が、お嬢様方のための清く正しい学校ラーチニー女学院だ。

 ラーチニー女学院の対岸に立っている、極めて中世ヨーロッパ的な建物は、聖クルーズ教会(上)だ。
 聖堂は小さいが、周囲のアジア的雰囲気の中で異質な存在感を漂わせている。

 その右手方向に見える大きな屋根を持つ寺院は、ワット・カンラヤニミット(左)。
 私立の寺院だが、これだけ大きな礼拝堂を持つ寺院は、タイでも珍しい。

 そのまま視線を左に向けていると、やがて大きな河口が見えてくる。これがバンコク・ヤイ運河の入口だ。
 河口入口右側にはアユタヤー王朝時の要塞ウィチャイ・プラシット砦(下)が復元されている。

 バンコク・ヤイ運河はここから西へと進み、日本人僧も修行しているワット・パークナームを過ぎたあたりで北上し、いつのまにやらバンコク・ノーイ運河と名を変えて東に進路を取り、ふたたびここから数km先で合流する。

 この両運河──今でこそ運河と呼ばれているが──は今から500年ほど前まではチャオプラヤー川の本流だった。しかし、アユタヤー王朝時の1522年に短絡路として掘られた狭い運河が時とともに広く大きくなっていき、本流へと取って代わってしまったのだ。

 その次に我々の目を驚かせてくれるのが、川沿いにそびえるワット・アルン(左)。高さ70m以上というヒンドゥー/クメール様式の巨大な石造りの仏塔が、見るものを厳粛な気分にさせる。

 そのワット・アルンの対面、ラーチニー女学院からすぐの木々の間に立つ白い壁と灰色の屋根が美しい瀟洒な木造建築物が、ラーマ5世の子息であるチャクラボン王子の家だ。
 1909年にイタリア人建築家の手によって建てられたおしゃれな家だが、地味なので注意していないと見落としてしまう。ボートがティアン船着場に近づいた時ではもう遅い。

 ワット・アルン対岸のティアン船着場を出て目を右側に向けていると、タイ海軍本部を経て開けた芝生の奥に王宮内に立つチャクリー・マハー・プラサート宮殿のきらびやかな屋根が見えてくる。
 ここが王室御座船専用の船着場だが、よほどの儀式でもないかぎり、御座船が川面に出ることはない(最近では、1999年11月4日にその儀式があった)。

 と思う間もなく、ボートはマハラート船着場に到着する。
 マハラート船着場にはトンブリー行きの乗合船や対岸への渡し舟の船着場が無数にあり、人と船の出入りが常に絶えない。

 この船着場に着いたら、視線を左側対岸のほうに向けてみよう。船着場の真正面に見える寺は、アユタヤー王朝時に建てられた寺にラーマ1世が修復の手を加えたワット・ラカン(左)だ。最近になって、改修というよりほぼ新築されて立派にはなったが深みは消えた。
 かつてこの寺で修行を重ねたルアン・ポー・トーという高僧は、ワット・インドラヴィハーンの有名な大仏像を造り、本人は同寺院内の瞑想堂に静かに奉られている。

 さて、マハラート船着場を出るとボートは川を横切り、対岸の船着場を目指して進む。ボートはかつてここにあったプラン・ノック船着場(右:沈没前の写真)に停まったが、数年前に船着場が沈没する事故が起き、30人以上の死者を出してから、隣のワン・ラン船着場を利用するようになった。

 この一帯にそびえ立つ近代的なビル群は国立シリラート病院の建物だ。
 タイ国を代表する設備と規模を持つ大病院で、中で迷子になってしまうほど広い。日本人旅行者に人気の法医学博物館もあるし、最近体調が思わしくないプーミポン国王も、治療に利用されている。

 マハラート病院前を通り過ぎると、次はバンコクノーイ・トンブリー鉄道駅(左)前に着船する。
 いまではあまり利用されていない駅だが、形のいい時計塔がかつての栄華を物語っている。駅舎は修復工事を終え、美しく整えられた。

 鉄道駅の横にある河口は、先ほどのバンコク・ヤイ運河から連なるバンコク・ノーイ運河の入口。少し入ると右手に王室御座船置場がある。
 また、鉄道駅船着場対岸に見えるのは国立タマサート大学の校舎群だ。

 そして、その先にかかっているのがピンクラオ橋(右)。橋を渡った向こう側には、繁華街が広がっている。
 時間が許せば、降りて散策してみたいものだ。

 

 

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